痰壷映画ブログ

ネタバレしつつ感想を述べますが、でもそんなにネタバレしてないです。

自分本位な映画批評以外書く意味など全くない

どこぞの映画批評ブログではしたり顔で「PVが伸びないのは自分本位な映画選択や文章の比率が高いからです。私もかつてそうでした」なんてことがよく書いてあったりするのだが、それは一面の理屈としてはわかるのだが、かと言って「他人本位の映画感想文」なんかに何の価値があるのかが全くわからない。だったらそれウィキペディアかなんかそういう図鑑だか紹介所みたいなサイトに行きゃいい話だろと。なんもかんもが他人に伝わるだろう水準で編まれた、平易で常識的なだけのハッピーでピースな映画批評なんか便所の紙と大差ないと思う。僕は「そいつのくそ偏った、誤解と偏見に満ちた断罪、あるいは崇拝に充ちたものの判断、評価、国語表現」が読みたいので、僕自身もそうします。私小説みたいな映画批評か、パンチだか毒が利いたユーモアの文章か、あるいは批評を超えて論文じみてるものしか興味はそそられないなー。そんでもってさらに人をけなしてみると、先に述べたような「他人本位の、まるで自分の入ってない映画レビュー」みたいなのを読む人って、それを読んで何がしたいんだろうか。ただのネタバレかあらすじだか雑学の断片の集合みたいなものを読むことに時間使って、しかも映画見た気分になってみちゃったりするわけか?不可解だ。お前はまず映画館に足を運べ。PCだかスマホを叩き割れ。肥えだめがまだ現存するド田舎の限界集落にでも行って汚水の臭いでお前のシティ化した健康で豊かで幸せな肉体をもう一度自然に還せ。でないと、お前は死んでるのと同じだ。とか言ってみても目も耳も鼻も死んでるから伝わんねえんだろうなー。自分勝手な映画ブログ、好きです。映画批評なんかで他人がハッピーになってたまるかってんだよ。とんま。